ネック:セドロ指 板:エボニー塗 装:セラック糸 巻:スローン弦 高:1弦/ 3.0mm 6弦/ 4.0mm[製作家情報]マヌエル・ベジード Manuel Lopez Bellido 1939年 グラナダ生まれ。13歳の時に同地の家具工房Claudio Carmona 工房に徒弟として入り(その時すでに工房ですぐれた職人として働いていた友人のアントニオ・マリン・モンテロが彼に木工技術を教えています)、急速にその腕前を上げていきます。ある日友人から依頼されたバンドゥーリアの修理を手がけたことで楽器の構造に興味を持ち、やがて自らの生業とすることを決意、アントニオよりも先にCarmonaの工房を辞し、グラナダのメンター的存在として今では名高いエドゥアルド・フェレールの工房に16歳の時に入ります。しかし最初はカスタネットを主に製作、生活のため家具職人に戻ることも考えるなど迷った時期もあったようですが、彼の木工技術の才能を見抜いたエドゥアルドがバンドゥーリアとギター製作をフルタイムで行う職人として再雇用し、ここで遂にマヌエルは本格的な楽器製作に従事することになります(このあとアントニオ・マリンもまたエドゥアルドの工房に入り、再び2人は同僚となります)。そして1960年、兵役を終えた21歳の時にマヌエルは独立を決意し、盟友アントニオとともに共同ブランドMontero y Bellido を起ち上げます。最初は自分達のラベルではなく師フェレールの工房品として、またはマヌエル・デ・ラ・チーカのラベルで出荷するなどして生計を繋ぎ、何度か工房の移転を余儀なくされるなどの困難もありながら、次第に顧客を獲得してゆきます(R.S.デ・ラ・マーサ や パコ・デ・ルシアなどの名手たちからのアクセスも入るようになります)1970年代に入ると日本をはじめ国外からの注文でますます需要も高まり、工房にはマヌエルの弟ホセ・ロペス・ベジード(1943~)、アントニオの甥のパコ・サンチャゴ・マリン(1946~)、そしてラファエル・モレーノ(1954~)らが徒弟として加わり生産体制を強化してゆきます。しかし1973年にパコ・マリンが独立し、その翌年アントニオのもう一人の甥ホセ・マリン・プラスエロ(1960~)が工房に加わりますが、ここでマヌエルとアントニオの共同作業は終わりを迎え、それぞれ独立して製作を行うことになります(ホセ・マリンはこの後アントニオの工房で製作を始めることになります)。マヌエルのギターは師エドゥアルドから受け継いだグラナダの伝統的な作風を基礎としながら、かなり大胆に構造的な試みを現在に至るまで行っています。しばしばそれはモダンギター的な趣さえも呈するものであるのにも関わらず、音色における彼の個性はどのモデルにも通底していることはある種驚愕に値すると言えるでしょう。反応のヴィヴィッドな木質感たっぷりの響きはいかにもグラナダ的ですが、音の表情にはどこかストイックなところがあり、これがなんとも渋い味わい。フラメンコモデルを主に製作しており、このジャンルの音楽的要望にしっかりとレスポンスし、かつ汎ジャンルなニュアンスを多く含んだ音はやはり独特の魅力を備え、コアなファンの評価も高いブランドとなっています。現在はPaseo de Las Palmas,5 の細長い工房で彼の息子たち(ヘススとマウリシオ、ただしそれぞれ独立したブランドとして)とともに製作を行っています。[楽器情報]マヌエル・ベジード製作 1974年製 モデルNo.2 クラシックモデルのUsedです。横板と裏板そして表板との接合部分(ライニング)部分に数か所過去に剥がれが生じたのを接着した履歴がありますが現在は問題ない状態で、その他全体に弾きキズやスクラッチ痕細かな打痕などありますが経年考慮すると良好と言える状態です。横裏板の中南米ローズ材に点在する小さな木目の節部分を埋め木修正した跡がありますが、おそらくは製作当時のものと思われます。割れの修理履歴はありません。ネック、フレットは良好な状態を維持しています。
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ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:セラック
糸 巻:スローン
弦 高:1弦/ 3.0mm 6弦/ 4.0mm
[製作家情報]
マヌエル・ベジード Manuel Lopez Bellido 1939年 グラナダ生まれ。13歳の時に同地の家具工房Claudio Carmona 工房に徒弟として入り(その時すでに工房ですぐれた職人として働いていた友人のアントニオ・マリン・モンテロが彼に木工技術を教えています)、急速にその腕前を上げていきます。ある日友人から依頼されたバンドゥーリアの修理を手がけたことで楽器の構造に興味を持ち、やがて自らの生業とすることを決意、アントニオよりも先にCarmonaの工房を辞し、グラナダのメンター的存在として今では名高いエドゥアルド・フェレールの工房に16歳の時に入ります。しかし最初はカスタネットを主に製作、生活のため家具職人に戻ることも考えるなど迷った時期もあったようですが、彼の木工技術の才能を見抜いたエドゥアルドがバンドゥーリアとギター製作をフルタイムで行う職人として再雇用し、ここで遂にマヌエルは本格的な楽器製作に従事することになります(このあとアントニオ・マリンもまたエドゥアルドの工房に入り、再び2人は同僚となります)。そして1960年、兵役を終えた21歳の時にマヌエルは独立を決意し、盟友アントニオとともに共同ブランドMontero y Bellido を起ち上げます。
最初は自分達のラベルではなく師フェレールの工房品として、またはマヌエル・デ・ラ・チーカのラベルで出荷するなどして生計を繋ぎ、何度か工房の移転を余儀なくされるなどの困難もありながら、次第に顧客を獲得してゆきます(R.S.デ・ラ・マーサ や パコ・デ・ルシアなどの名手たちからのアクセスも入るようになります)1970年代に入ると日本をはじめ国外からの注文でますます需要も高まり、工房にはマヌエルの弟ホセ・ロペス・ベジード(1943~)、アントニオの甥のパコ・サンチャゴ・マリン(1946~)、そしてラファエル・モレーノ(1954~)らが徒弟として加わり生産体制を強化してゆきます。しかし1973年にパコ・マリンが独立し、その翌年アントニオのもう一人の甥ホセ・マリン・プラスエロ(1960~)が工房に加わりますが、ここでマヌエルとアントニオの共同作業は終わりを迎え、それぞれ独立して製作を行うことになります(ホセ・マリンはこの後アントニオの工房で製作を始めることになります)。
マヌエルのギターは師エドゥアルドから受け継いだグラナダの伝統的な作風を基礎としながら、かなり大胆に構造的な試みを現在に至るまで行っています。しばしばそれはモダンギター的な趣さえも呈するものであるのにも関わらず、音色における彼の個性はどのモデルにも通底していることはある種驚愕に値すると言えるでしょう。反応のヴィヴィッドな木質感たっぷりの響きはいかにもグラナダ的ですが、音の表情にはどこかストイックなところがあり、これがなんとも渋い味わい。フラメンコモデルを主に製作しており、このジャンルの音楽的要望にしっかりとレスポンスし、かつ汎ジャンルなニュアンスを多く含んだ音はやはり独特の魅力を備え、コアなファンの評価も高いブランドとなっています。
現在はPaseo de Las Palmas,5 の細長い工房で彼の息子たち(ヘススとマウリシオ、ただしそれぞれ独立したブランドとして)とともに製作を行っています。
[楽器情報]
マヌエル・ベジード製作 1974年製 モデルNo.2 クラシックモデルのUsedです。横板と裏板そして表板との接合部分(ライニング)部分に数か所過去に剥がれが生じたのを接着した履歴がありますが現在は問題ない状態で、その他全体に弾きキズやスクラッチ痕細かな打痕などありますが経年考慮すると良好と言える状態です。横裏板の中南米ローズ材に点在する小さな木目の節部分を埋め木修正した跡がありますが、おそらくは製作当時のものと思われます。割れの修理履歴はありません。ネック、フレットは良好な状態を維持しています。