[製作家情報] マヌエル・ゴンサレス・コントレラス(1928~1994)と息子であるパブロ・コントレラス(1957~2011)によるブランド(※現在はJose Antonio Lagunarがブランドを継承)。マヌエルは家具職人としてそのキャリアをスタートさせ、高い木工技術とデザインセンスの持ち主であったようです。1959~1962の間ホセ・ラミレス3世工房で(徒弟ではなく熟練工として)働いたあと、彼は自らの楽器製作のアイデアを具現化すべく早々に自身の工房を起ち上げます。木材の厳しい選定、音響と演奏性のあくなき追及から生まれた彼のモデルはほとんど発明家の様相さえ帯びるほどに個性的なものであり、その革新性ゆえにフォロワーが存在しないという意味でも稀有な有名ブランドとなっています。そのラインナップは8弦、10弦、13弦などの多弦ギターからダブルトップ(のちにマティアス・ダマンらが開発するNomexを使用したものとは全く異なる)、スピーカーの音響原理を取り入れたカルレバーロモデル、そして湾曲した力木を用いた1A Especial 等々実に多岐にわたり、どれもが注目すべきモデルとなっています。しかしながらその出発点となったホセ・ラミレス的マドリッドスクールにふさわしい、重厚で包み込むような音響は通底しており、その造りの確かさもあいまって、いまもマドリッドの代表的ブランドの一つとして高い評価を維持しています。息子のパブロは1975年より父の工房で働き、マヌエル同様に進取の気性に富んだ彼は良きパートナーとしてこのブランドの隆盛に寄与し、マヌエル亡き後もその精神を維持してすぐれたギターを出荷し続けましたが(ラベルはマヌエル・コントレラス2世 Manuel Contreras IIと表記)、2011年54歳という働き盛りでこの世を去ります。
指 板:エボニー
塗 装:ポリウレタン
糸 巻:フステーロ
弦 高:1弦 2.2mm/6弦 2.8mm
[製作家情報]
マヌエル・ゴンサレス・コントレラス(1928~1994)と息子であるパブロ・コントレラス(1957~2011)によるブランド(※現在はJose Antonio Lagunarがブランドを継承)。マヌエルは家具職人としてそのキャリアをスタートさせ、高い木工技術とデザインセンスの持ち主であったようです。1959~1962の間ホセ・ラミレス3世工房で(徒弟ではなく熟練工として)働いたあと、彼は自らの楽器製作のアイデアを具現化すべく早々に自身の工房を起ち上げます。木材の厳しい選定、音響と演奏性のあくなき追及から生まれた彼のモデルはほとんど発明家の様相さえ帯びるほどに個性的なものであり、その革新性ゆえにフォロワーが存在しないという意味でも稀有な有名ブランドとなっています。そのラインナップは8弦、10弦、13弦などの多弦ギターからダブルトップ(のちにマティアス・ダマンらが開発するNomexを使用したものとは全く異なる)、スピーカーの音響原理を取り入れたカルレバーロモデル、そして湾曲した力木を用いた1A Especial 等々実に多岐にわたり、どれもが注目すべきモデルとなっています。しかしながらその出発点となったホセ・ラミレス的マドリッドスクールにふさわしい、重厚で包み込むような音響は通底しており、その造りの確かさもあいまって、いまもマドリッドの代表的ブランドの一つとして高い評価を維持しています。息子のパブロは1975年より父の工房で働き、マヌエル同様に進取の気性に富んだ彼は良きパートナーとしてこのブランドの隆盛に寄与し、マヌエル亡き後もその精神を維持してすぐれたギターを出荷し続けましたが(ラベルはマヌエル・コントレラス2世 Manuel Contreras IIと表記)、2011年54歳という働き盛りでこの世を去ります。
[楽器情報]
マヌエル・コントレラス フラメンコブランカ(白)モデル 1975年製 Usedの入荷です。
全体に年代相応の弾き傷、打痕、摩擦跡等あります。表面板のブリッジ下1弦側に弦とび埋め補修、その他ボトム付近にも一か所の打痕補修あと。低音側横板のウエスト部に一か所、下部ふくらみ部に2か所割れ修理履歴があります。ネック、フレット、糸巻など演奏性に関わる部分の問題はありません。ネックはフラメンコギターで採用されることの多いDシェイプのフラットな形状。弦高は2.0/2.5mm(1弦/6弦 12フレット)、サドル余剰は1.0~1.5mmとなっています。
表面板内部構造はサウンドホール上下(ネック側とブリッジ側)に一本ずつのハーモニックバー、ボディのウエストとより下の部分はほとんど平行に近い形で5本の扇状力木が配置され、ボトム部にはハの字型に設置された2本のクロージングバー レゾナンスはF#の下に設定されています。