〔製作家情報〕 ドミンゴ・エステソは1882年スペインのクエンカ県サン・クレメンテ生まれ。1900年にマドリッドに居を移した後、マヌエル・ラミレスの工房に入門。同門ではあのサントス・エルナンデスと比肩するほどの名職人となり、マヌエルが亡くなる1916年まで師の工房で働いた。その後1919年には独立し、グラビーナ7番地に工房を開く。そこでは甥のファウスティーノらコンデ兄弟が共にギター製作に加わり、1937年にドミンゴが亡くなった後は’Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso’のラベルでコンデ兄弟が工房を継承している。これが後にフラメンコギターの名ブランドコンデ・エルマノスへと発展してゆくことになる。ドミンゴが独立した時期にはフラメンコが隆盛を極めていたため、彼の製作したギターの多くがシープレス仕様の楽器となっている。しかしながらそれらは実に重厚で濃密な響きと類まれな表現力を備えており、フラメンコに限定されず多くののギタリストを今も魅了してやまない。20世紀前半の最も偉大な製作家の一人。
指 板:エボニー
塗 装:セラック
糸 巻:不明
弦 高:1弦 1.2mm/6弦 1.4mm
〔製作家情報〕
ドミンゴ・エステソは1882年スペインのクエンカ県サン・クレメンテ生まれ。1900年にマドリッドに居を移した後、マヌエル・ラミレスの工房に入門。同門ではあのサントス・エルナンデスと比肩するほどの名職人となり、マヌエルが亡くなる1916年まで師の工房で働いた。その後1919年には独立し、グラビーナ7番地に工房を開く。そこでは甥のファウスティーノらコンデ兄弟が共にギター製作に加わり、1937年にドミンゴが亡くなった後は’Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso’のラベルでコンデ兄弟が工房を継承している。これが後にフラメンコギターの名ブランドコンデ・エルマノスへと発展してゆくことになる。ドミンゴが独立した時期にはフラメンコが隆盛を極めていたため、彼の製作したギターの多くがシープレス仕様の楽器となっている。しかしながらそれらは実に重厚で濃密な響きと類まれな表現力を備えており、フラメンコに限定されず多くののギタリストを今も魅了してやまない。20世紀前半の最も偉大な製作家の一人。
[楽器情報]
ドミンゴ・エステソ製作 1934年製 Laud の入荷です。マーケットに出ることはほとんどない、大変に珍しい1本。Laud(ラウード)はホタなどのスペイン民族音楽の演奏(主に社交ダンス的なシチュエーションにおける)に特化したrondallaという合奏形式で、バンドゥーリアやギターなどと一緒に構成され演奏される楽器。バンドゥーリアがマンドリンほどの大きさの楽器なのに対し、別名Spanish Luteともいわれるラウードは弦長がおよそ470~500㎜ほどでギターよりも少し小さなサイズ。6コース12弦で通常は低音からG#、C#、F#、B、E、A(各コースはユニゾン)の4度音程でチューニングされ、演奏にはマンドリン同様に専用のピックを使用します。上記4度のトラディショナルチューニングのほかに、現代ではD、F#、B、E、A、Dのチューニングなども採用されています。
意匠的には大きく分けてギター同様に表面板中央に円形のサウンドホールを設けるタイプと、本作のようにfホールをあしらったものとがあります。スペインでは現在も大手メーカーなども量産用ラウードやバンドゥーリアをカタログ化しているところも多く、なじみの深い楽器。あのトーレスやビセンテ・アリアスらも製作していることから名工の手になる作品も実はそう珍しくありません。
ドミンゴ・エステソの手による本作は極めて堅実な造り。弦長はこのタイプとしてはやや長めの519㎜。スチール弦使用の楽器としてはとても稀有なことにネックはほぼ完全に真っすぐを維持しています。フレットは1~4Fで摩耗ありますが現状での使用に問題はありません。表面板のブリッジ下高音側と低音側に割れ修理履歴あります。ネック裏1~3F部分はグリップによる塗装の剥がれが目立ちますが、特に修正は施さず現状のままとしています。専用ハードケース付き。