ネック:セドロ指 板:エボニー塗 装:セラック糸 巻:フステーロ弦 高:1弦 3.0mm /6弦 4.0mm[製作家情報]「エルナンデス・イ・アグアド」Hernandez y Aguadoサンチャゴ・マヌエル・エルナンデス(1895~1975)と ビクトリアーノ・アグアド・ロドリゲス(1897~1972)の二人による共同ブランドで、エルナンデスが本体の製作、アグアドが塗装とヘッドの細工そして全体の監修をそれぞれ担当。通称「アグアド」と呼ばれ、20世紀後半以降の数多くのクラシックギターブランドの中でも屈指の名品とされています。エルナンデスはスペイン、トレド近郊の村Valmojadoに生まれ、8歳の時に一家でマドリッドに移住。アグアドはマドリッド生まれ。2人はマドリッドにある「Corredera」というピアノ工房で一緒に働き、良き友人の間柄であったといいます。この工房でエルナンデスは14歳のころから徒弟として働き、その優れた技術と情熱的な仕事ぶりからすぐに主要な工程を任されることになります。アグアドもまたこの工房で腕の良い塗装職人としてその仕上げを任されていたので、二人での製作スタイルのひな形がこの時すでに出来上がっていたと言えます。1941年にこのピアノ工房が閉鎖された後、2人は共同でマドリッドのリベラ・デ・クルティドーレス9番地にピアノと家具の修理工房を開きます。1945年、プライベート用に製作した2本のギターについて、作曲家であり当時随一の名ギタリストであったレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに助言を仰ぐ機会を得ます。この名手は二人の才能を高く評価し、ギター製作を勧めるとともに自身が所有していたサントス・エルナンデスのギターを研究のために貸し与えています。さらにはサントスと同じくマヌエル・ラミレス工房出身の製作家で、終戦直後の当時貧窮の中にあったモデスト・ボレゲーロ(1893~1969)に仕事のためのスペースを工房内に貸し与えることになり、そのギター製作の工程をつぶさに観察。これが決定的となり、ギターへの情熱がさらに高まった二人は工房をギター製作に一本化することに決め、1950年より再発進します。デ・ラ・マーサという稀代の名手とマヌエル・ラミレスのメソッドを深く知るボレゲーロ(彼は1952年までアグアドの工房を間借りして製作を続けた後に独立しています)という素晴らしい二人の助言をもとに改良、発展を遂げて世に出されたアグアドのギターは大変な評判となり、一時期70人以上ものウェイティングリストを抱えるほどの人気ブランドになりました。出荷第一号はNo.100(※1945年に製作した個人用のギターがNo.1)で、1974年の最後の一本となるNo.454まで連続番号が付与されました。1970年前後に出荷されたものの中には同じマドリッドの製作家マルセリーノ・ロペス・ニエト(1931~2018)や、やはりボレゲーロの薫陶を受けたビセンテ・カマチョ(1928~2013)が製作したものも含まれており、これは殺到する注文に応えるため、エルナンデスが当時高く評価していた2人を任命したと伝えられています。しばしば美しい女性に喩えられる優美なボディライン、シンプルで個性的かつこの上ない威厳を備えたヘッドデザインなどの外観的な特徴もさることながら、やはりこのブランドの最大の特徴はその音色の絶対的ともいえる魅力にあると言えるでしょう。人間の声のような肌理をもち、表情豊かで温かく、時にまるで打楽器のような瞬発性とマッシヴな迫力で湧き出してくる響きと音色は比類がなく、二人だけが持つある種の天才性さえ感じさせます。このブランドの有名な逸話にも登場するエルナンデスの愛娘のエミリアは1945年にヘスス・ベレサール・ガルシア(1920~1986)と結婚。ベレサールはアグアドの正統的な後継者として、その精神的な面までも受け継ぎ、名品を世に出す存在になります。アグアドがギター製作を始めるうえでの大きなきっかけとなったデ・ラ・マーサはその後彼らのギターを数本購入し愛用しているほか、ジョン・ウィリアムスやユパンキなどの名手たちが使用しています。[楽器情報]エルナンデス・イ・アグアド 1967年製 No.343 の入荷です。ラベルには「私の小さな孫へ」との直筆の文言が書かれており、プライベートに製作された一本であることがうかがえます。ロゼッタが有名なジグザグの模様ではなく細やかな落ち着いた意匠になっており、これもあまりにも有名なヘッドデザインはその曲線部分などにやや優美なニュアンスが感じられるものになっているのですが、内部設計のほうは後期アグアドの典型的なものが採用されています。サウンドホール上下(ネック側とブリッジ側)に各一本のハーモニックバー、そして下側の方のバーの中央からわずかに低音寄りの部分から高音側横板の方向に斜めに下がってゆくように配置されたもう一本のいわゆるトレブルバー、扇状力木は6本がセンターに配された1本を境として低音側に3本、高音側に2本を配置、ボトム部でこれらの先端を受け止めるようにハの字型に配置された2本のクロージングバー、駒板の位置には補強板が丁度駒板の幅と合致するように(同時に一番低音側の一本を除く5本の扇状力木の範囲に丁度収まるように設置されているという全体の設計。駒板部分の補強板は厳密にいえばアグアドとしてはやや厚めに2mmほどの厚みのものとなっています。またこの部分に年式や製造番号などは記載されておりません。レゾナンスはGの少し上に設定されています。アグアドの特徴である実に適切な、それゆえにこそ個性的な粘りと反発感のある発音と引き締まった音像というよりは、箱全体を十全に響かせてオーディトリアムな奥行きと力強さを持った、良い意味でマドリッド的な響きが特徴です。そしてこのブランドのもう一つの特徴である表情の繊細と機微においてはやはりさすがで、可憐さから豪壮までの振幅があり、そしてとても音楽的。高音はあくまでもきりっとして女性的でさえあり、中低音から低音のふっくらとした拡がりがそれを包むように響く全体のバランスも心地よい。またアグアドは演奏性における機能面でも秀逸で、ネックの差し込み角度等の設定による絶妙さゆえか左手はストレスがなく、弦のテンションも中庸から弱めであるのに音自体には張りと力強さがあり(これについては弦長660mmの設定であることも関係しているでしょう)、発音の反応性も優れています。表面板全体(特に指板両脇とサウンドホールの高音側、駒板下部分など)に弾きキズや搔きキズありますがあまり深くなく、外観を著しく損なうものではありません。また横裏板とネック裏は衣服等による細かな摩擦あとや数か所の小さな打痕とキズはありますが軽微なものとなっており、年代を考慮すると良好な状態と言えます。割れ等の修理歴もありません。ネック、フレット等の演奏性にかかかわる部分も適正な状態。ネックシェイプはDシェイプの薄めの形状でグリップ感が良く、弦高値は3.0/4.0mm(1弦/6弦 12フレット)でサドル余剰は1.0~2.0mmあります。糸巻はスペインの老舗ブランド Fustero製を装着、こちらも現状で機能的な問題はありません。
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ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:セラック
糸 巻:フステーロ
弦 高:1弦 3.0mm /6弦 4.0mm
[製作家情報]
「エルナンデス・イ・アグアド」Hernandez y Aguado
サンチャゴ・マヌエル・エルナンデス(1895~1975)と ビクトリアーノ・アグアド・ロドリゲス(1897~1972)の二人による共同ブランドで、エルナンデスが本体の製作、アグアドが塗装とヘッドの細工そして全体の監修をそれぞれ担当。通称「アグアド」と呼ばれ、20世紀後半以降の数多くのクラシックギターブランドの中でも屈指の名品とされています。
エルナンデスはスペイン、トレド近郊の村Valmojadoに生まれ、8歳の時に一家でマドリッドに移住。アグアドはマドリッド生まれ。2人はマドリッドにある「Corredera」というピアノ工房で一緒に働き、良き友人の間柄であったといいます。この工房でエルナンデスは14歳のころから徒弟として働き、その優れた技術と情熱的な仕事ぶりからすぐに主要な工程を任されることになります。アグアドもまたこの工房で腕の良い塗装職人としてその仕上げを任されていたので、二人での製作スタイルのひな形がこの時すでに出来上がっていたと言えます。1941年にこのピアノ工房が閉鎖された後、2人は共同でマドリッドのリベラ・デ・クルティドーレス9番地にピアノと家具の修理工房を開きます。
1945年、プライベート用に製作した2本のギターについて、作曲家であり当時随一の名ギタリストであったレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに助言を仰ぐ機会を得ます。この名手は二人の才能を高く評価し、ギター製作を勧めるとともに自身が所有していたサントス・エルナンデスのギターを研究のために貸し与えています。さらにはサントスと同じくマヌエル・ラミレス工房出身の製作家で、終戦直後の当時貧窮の中にあったモデスト・ボレゲーロ(1893~1969)に仕事のためのスペースを工房内に貸し与えることになり、そのギター製作の工程をつぶさに観察。これが決定的となり、ギターへの情熱がさらに高まった二人は工房をギター製作に一本化することに決め、1950年より再発進します。デ・ラ・マーサという稀代の名手とマヌエル・ラミレスのメソッドを深く知るボレゲーロ(彼は1952年までアグアドの工房を間借りして製作を続けた後に独立しています)という素晴らしい二人の助言をもとに改良、発展を遂げて世に出されたアグアドのギターは大変な評判となり、一時期70人以上ものウェイティングリストを抱えるほどの人気ブランドになりました。
出荷第一号はNo.100(※1945年に製作した個人用のギターがNo.1)で、1974年の最後の一本となるNo.454まで連続番号が付与されました。1970年前後に出荷されたものの中には同じマドリッドの製作家マルセリーノ・ロペス・ニエト(1931~2018)や、やはりボレゲーロの薫陶を受けたビセンテ・カマチョ(1928~2013)が製作したものも含まれており、これは殺到する注文に応えるため、エルナンデスが当時高く評価していた2人を任命したと伝えられています。
しばしば美しい女性に喩えられる優美なボディライン、シンプルで個性的かつこの上ない威厳を備えたヘッドデザインなどの外観的な特徴もさることながら、やはりこのブランドの最大の特徴はその音色の絶対的ともいえる魅力にあると言えるでしょう。人間の声のような肌理をもち、表情豊かで温かく、時にまるで打楽器のような瞬発性とマッシヴな迫力で湧き出してくる響きと音色は比類がなく、二人だけが持つある種の天才性さえ感じさせます。
このブランドの有名な逸話にも登場するエルナンデスの愛娘のエミリアは1945年にヘスス・ベレサール・ガルシア(1920~1986)と結婚。ベレサールはアグアドの正統的な後継者として、その精神的な面までも受け継ぎ、名品を世に出す存在になります。
アグアドがギター製作を始めるうえでの大きなきっかけとなったデ・ラ・マーサはその後彼らのギターを数本購入し愛用しているほか、ジョン・ウィリアムスやユパンキなどの名手たちが使用しています。
[楽器情報]
エルナンデス・イ・アグアド 1967年製 No.343 の入荷です。ラベルには「私の小さな孫へ」との直筆の文言が書かれており、プライベートに製作された一本であることがうかがえます。ロゼッタが有名なジグザグの模様ではなく細やかな落ち着いた意匠になっており、これもあまりにも有名なヘッドデザインはその曲線部分などにやや優美なニュアンスが感じられるものになっているのですが、内部設計のほうは後期アグアドの典型的なものが採用されています。サウンドホール上下(ネック側とブリッジ側)に各一本のハーモニックバー、そして下側の方のバーの中央からわずかに低音寄りの部分から高音側横板の方向に斜めに下がってゆくように配置されたもう一本のいわゆるトレブルバー、扇状力木は6本がセンターに配された1本を境として低音側に3本、高音側に2本を配置、ボトム部でこれらの先端を受け止めるようにハの字型に配置された2本のクロージングバー、駒板の位置には補強板が丁度駒板の幅と合致するように(同時に一番低音側の一本を除く5本の扇状力木の範囲に丁度収まるように設置されているという全体の設計。駒板部分の補強板は厳密にいえばアグアドとしてはやや厚めに2mmほどの厚みのものとなっています。またこの部分に年式や製造番号などは記載されておりません。レゾナンスはGの少し上に設定されています。
アグアドの特徴である実に適切な、それゆえにこそ個性的な粘りと反発感のある発音と引き締まった音像というよりは、箱全体を十全に響かせてオーディトリアムな奥行きと力強さを持った、良い意味でマドリッド的な響きが特徴です。そしてこのブランドのもう一つの特徴である表情の繊細と機微においてはやはりさすがで、可憐さから豪壮までの振幅があり、そしてとても音楽的。高音はあくまでもきりっとして女性的でさえあり、中低音から低音のふっくらとした拡がりがそれを包むように響く全体のバランスも心地よい。またアグアドは演奏性における機能面でも秀逸で、ネックの差し込み角度等の設定による絶妙さゆえか左手はストレスがなく、弦のテンションも中庸から弱めであるのに音自体には張りと力強さがあり(これについては弦長660mmの設定であることも関係しているでしょう)、発音の反応性も優れています。
表面板全体(特に指板両脇とサウンドホールの高音側、駒板下部分など)に弾きキズや搔きキズありますがあまり深くなく、外観を著しく損なうものではありません。また横裏板とネック裏は衣服等による細かな摩擦あとや数か所の小さな打痕とキズはありますが軽微なものとなっており、年代を考慮すると良好な状態と言えます。割れ等の修理歴もありません。ネック、フレット等の演奏性にかかかわる部分も適正な状態。ネックシェイプはDシェイプの薄めの形状でグリップ感が良く、弦高値は3.0/4.0mm(1弦/6弦 12フレット)でサドル余剰は1.0~2.0mmあります。糸巻はスペインの老舗ブランド Fustero製を装着、こちらも現状で機能的な問題はありません。